人馬一体

2005/05/29(日)

航空機にとってエンジンは心臓であり、搭乗者にとっても命である。だから機長は、その鼓動を自分の体のように感じて居なければならない。それは、音であり、振動であり、時には匂いであったりもする。同時に計器がエンジンの状態をリアルタイムに伝えてくるので、これらのスキャニング(監視)も怠ってはならない。前回(4日)僅かな異常を感じ飛行を断念して点検中だったエンジンの整備が 終り、今日はテストフライト。上昇~降下を繰り返し、各計器のデータを記録した。写真は、甲府市上空1200mを飛行中のコックピット、中央の無線機器以外はすべてアナログ計器で、視認性を重視した配列になっている。問題の有った上昇中のオーバーヒートの対策は80%の出来、残りの20%はパイロットのセンス、すなわち「人馬一体の感性」に委ねられる。
双葉09:50~双葉10:50 1+00
双葉11:47~松本12:17 0+30
松本13:27~双葉13:57 0+30

慣れに潜む危険

2005/05/15(日)

第三日曜は地域の清掃日で出発が遅れるが、深田記念公園が有る登山口まで車で15分、小雨の中(午後から晴れ予報)傘をさして歩き始める。直ぐに一般道と別れ防火帯の尾根道(分岐の道標も無く初めての人には分からない)に入る。道は山頂への最短の尾根で、急登に息が弾むが、人気の名山も裏道は静かで良い。ただ、地面は硬く滑りやすく下山ルートには不向き。1600m辺りで雨が強くなり、カッパを忘れた事を悔やむ。 くたびれた登山靴も情けなく滑るし、空も暗くなりヤバイなって頃、双葉の飛行場管理事務所に携帯がつながった。レーダーエコーを見てもらうと「30分で雨域を抜ける」信頼できる情報に元気を取り戻して登りを決める。頂上に着く頃に雨は上るが、濡れた体が冷えるので、休まずに女岩(水場)まで下り、反省しながら昼食をとった。写真は、頂上直下にある深田久弥氏(日本百名山の著者)終焉の碑、晴れていれば、背後に金峰山や国師ヶ岳が見える。
登山口09:00~茅 ヶ岳10:55 1+55
茅 ヶ岳10:55~登山口12:55 2+00(女岩コース)

日本の屋根を飛ぶ

2005/05/03(火)

高気圧に広く覆われ快晴、松本~大町~糸魚川ルートで能登空港に向う。空はどこまでも青く気流も穏やかだから、帰りは久々のアルプス越えだ。 空港の気象事務所で入念なウエザーチェックの後、富山~飛騨高山~安房峠のルートプランで離陸する。地上の視程は30km位だが、能登島上空1000mからは、雲ひとつ無い青空に残雪の立山連峰が映える。さらに上昇すると大パノラマが広がり、富山湾上空2000mからは、御岳山や 乗鞍岳がよく見え、地文航法(地上の物標を確認しながら目的地を目指す)での著明な目標になる。飛騨高山からは針路を東に修正して谷間を登って行き、噴煙を吐く焼岳を対地高度150mで越え、さらに上昇しながら北アルプスの核心部に迫ると、3000m級の山々が幾重にも連なる荘厳な世界が、ここが正に日本の屋根だ。写真は、東鎌尾根上空3400mから中央に槍ヶ岳(3180m)、左肩の赤い屋根が槍岳山荘。背後には遠く日本海まで視界が広がる。
双葉09:40~能登11:10 1+30
能登13:15~双葉14:50 1+35

鳥になる時

2005/05/01(日)

エンジンが無いグライダーは、曳航機に繋がれて空へ登って行く。対地高度が600メートルに達した所で、ロープを切り離して自らを大空に放つ。 長い翼が上昇気流を捕らえ、景色が大きくバンクして流れて行く。風を切って自由に大空を舞うグライダーを自在に操る時、人間は鳥になる。写真(後席の小窓から撮影)は、曳航ロープを切り離した瞬間。直後にグライダーは右へ上昇旋回、前方の曳航機は左へ急降下で降りて行く。計器板の一番右が高度計で海抜1000mを指している。眼下には御勅使川が見える。グライダーは4ヶ月振りだったので、複座機(二人乗り)の後席に訓練教官を乗せてチェックを受けた後、単座機(一人乗り)でフライトの予定だったが、天気の崩れに伴ないコンディションも悪く、安全を考え早めに撤収した。
韮崎11:52~韮崎12:05 0+13
韮崎15:00~双葉15:10 0+10(単座機)