飲食店やホテルなどのサービス業界を始め、職場でも家庭でも私たちの日々の暮らしに欠かす事の出来ないコーヒーであるが、その存在意義について考えてみたい。
今となっては古い話だが、1998年に長野県で開催された冬季オリンピックでのエピソードである。世界中からの参加選手はもちろん多くの関係者が滞在する選手村で、驚愕の声を浴びたのはコーヒーの価格であった。7$(約800円)当時の日本では喫茶店350円、ホテル700円が相場であったが、欧米人にとっては信じ難い価格で自国の10倍近いコーヒーに閉口したのは当然である。なぜこんな事態に至ったか、それは業界特有のルールと流通システムに問題があった。
詳細は別の機会とするが、要は外国人にとって日常のお茶であるコーヒーの価格が、サービスを提供する側の都合で決められていた事にあった。もちろん当地の物価による所も有るがコーヒーだけが特出して高かったので、「なぜ高い日本のコーヒー」と海外メディアに大きく取り上げられ話題になった。
あれから20年近くが経過し、サラリーマンの昼食代がワンコインになっても日本のコーヒーは相変わらず高い。唯一、頑張っているのはコンビニのドリップコーヒーで、専用のマシンが挽き立てを抽出し、味もポピュラーで多くの顧客に利用される人気商品となっている。
実はこの身近にあるコーヒーに本質があり、毎日のコーヒーで有り続けることに存在意義がある。
その為には美味しい事は当然であると同時に、親しみやすい値段である事も重要である。
30年代西ドイツ製コーヒーミル