登山計画書

2016/07/24(日)

会社にクラブ活動が有った古き良き時代に社会人となり、山岳部で登山の基本を学べたのは幸運だった。
登山に必要な道具は靴からザック、寝袋に至るまで全て会社が購入してくれて、社名(C山岳部)を刺繍した揃いのカッターシャツまで作ってくれた。この様に充実した福利厚生で何不自由なく登山が楽しめる環境に有ったが、その分いくつかの厳しい縛りも有った。その一つが「登山計画書」の提出で、ワープロも無かった時代だから手書きで面倒だったが几帳面な部長(リーダー)が作成し総務課に提出していた。部員もこの登山計画に基づいてミーティングを行い、情報を共有すると共に役割分担を決めて準備に入った。特に重要だったのがコース&タイムの項で、登山前と下山後の移動は会社の規定で公共交通を利用する決まりで、バスや電車に乗り遅れない緻密なタイムスケジュールがリーダーに課せられた重責のひとつであった。他にも、長期の合宿の食料計画や山小屋の予約なども、コンビニや携帯がある現代とは比較にならない苦労があったが、この経験を何度か重ね、後に部長まで務めさせて頂いた事が40年も経過した今日の山行にも活かされている。
登山の基本であり絶対条件の「計画」を「登山計画書」と書くと何か大事に思われそうだから「登山届け」としよう。入山する山域を管轄する警察署に「届け」て置く。今では各県警のホームページから登山計画書で検索すれば、便利なフォームを利用して簡単な入力で提出できるようになっている。同時に、家族や友人などに最低限「コース&タイム」のメモを残すことを怠ってはならない。
今日は0730桜平~オーレン小屋~峰の松目~赤岩の頭~硫黄岳~夏沢峠~1230根石岳~オーレン小屋~1500桜平のメモを置いてきた。
第三者に行動計画を伝えて置く事で万一の時に、捜索のエリアが特定され迅速な救助が期待できる。同時に自分の行動に対する責任を自覚することで安全意識が高まり事故を未然に防ぐ効果もある。「登山届け」忘れずに出そう。
高山植物の女王「コマクサ」今年は平年より10日も早く、盛りを過ぎた感じ(写真)根石岳の南斜面で撮影した。背後は増築改修した根石山荘で小屋の前に鹿避けの電気柵で囲った保護地では見事な群生が見られた。
桜 平07:45~根石岳12:40 4+55(峰の松目~硫黄岳経由)
根石岳13:10~桜 平14:50 1+40

レスキュー費用保険

2016/07/22(金)

50代も半ばを過ぎた夏の暑い日だった。瑞牆山の山頂から下り始めて10分、岩場の大きな段差で躓き2m近く転げ落ちた。
大きな音を聞いて少し後ろを下山中の若い男女が駆け寄ってきて声を掛けてくれた。右足のすねに激しい痛みが有ったが恥ずかしさと意地で笑って大丈夫と答えた。心配そうに覗き込む二人には礼を言って先に下りてもらい、擦り切れたズボンをまくり上げると10cmほどある裂傷から鮮血が流れている。先ずは速やかに止血を施す。とは言ってもタオルを直接巻いて傷口を圧迫するだけだから白いタオルはみるみるうちに赤く染まった。他の登山者に見られたら大事になりそうに真っ赤なので早くズボンの裾を下ろして隠したいが止血に巻いたタオルの結び目が大きく難儀する。幸い右足のすね以外に痛みは無いようだが、山では頭部はもちろん足の怪我は深刻である。自力で歩き下山できなければ遭難であり、救助の手段は他人に背中かヘリに吊り上げてもらうかだ。
後に気が付いたが背中と頭部を守ってくれたのはザックだった。外側にダメージが有り右サイドの隙間に突っ込んであった折り畳み傘の骨が折れていた。ザックが衝撃を吸収してくれたお陰で人体の骨は大事に至らなかった。
転落の原因は明らかだった。それまで何処に登っても習慣的に山頂で飲んでいた缶ビール。40年100回以上登っている瑞牆山に対する「お山の大将」的な慢心。年齢と共に低下している体力を自覚せず自分は絶対に大丈夫との過信。痛みに耐えながら歩いた長い下山は、それらを根底から覆すのに余りある物があった。以来、山での缶ビールは止めて当時はまだ珍しかったレスキュー費用保険(正式名称:捜索救助費用保険)に加入、間もなく5回目の更新を迎える。年々加入者が増えた事で(現在34000人ほどが加入)保険料が4000円に下がり3万円だった免責が0円になった。年間20回の登山で割ると1回200円の保険料と安く、万一の時は救助費用300万円までが保険から支払われる。

歩き残した道

2016/07/18(月)

平年は海の日あたりが関東甲信越の梅雨明けになるが、この週末も太平洋高気圧の張り出しが弱く南岸に前線が停滞している。
昨日は地域で定例の清掃作業と消防訓練があり今日は仕事の予定だったが、予報以上の青空に目覚めると行動は早い。
ラジオ体操はパスして出社し、最低限の仕事を済ませ三ッ峠の登山口に向かう。今日は御坂山塊の未踏破区間であった御巣鷹山から清八山を歩き、本社ヶ丸に登った。御坂山塊とは最西端の富士川から立ち上った蛾ヶ岳をスタートして三方分山~王岳~節刀ヶ岳を経て最高峰一等三角点の黒岳へ、ここから尾根は国中方面にも派生して釈迦ヶ岳から春日山と続くが、主脈縦走路は黒岳から御坂山を経て太宰治で有名な天下茶屋の直ぐ上を通り清八山へ、ここで尾根は直角に南に曲がり御巣鷹山を経て200名山三ツ峠山に至る。更に緩やかに降下しながら河口湖の天上山でゴールする水平距離で約40kmにも及ぶ山梨県を国中地方と郡内地方に分ける大きな山塊で、この山塊を境に双方で気候も風土も大きく異なる。今までに主要なピークは全て登ったつもりでいたが、地図をよく見ると部分的に未だ歩いていない区間が見つかる。本社ヶ丸も中央線の笹子駅からのコースが一般的で、健脚者は三ツ峠まで縦走して富士急行線のみつとうげ駅に下山する。今日もこのコースを歩く単独行の若い男性と茶臼山近くですれ違った。
歩き残しの原因は地元ならではのマイカー利用によるピストンが主で、歩き残しを効率よく塗り潰すのは大変だが、地図やガイドブックでは分からない部分を自分で確める意義は大きい。天候がはっきりしない為か、遅いスタートで心配した三ツ峠口の駐車スペースも30%ほど、御巣鷹山から先で出会ったのは単独2名と3組のグループだけ、狭い山頂も貸切で自由に地図の上に昼食を広げる。あいにく富士山は厚い雲の中だが方位のポイントになる河口湖と御坂山塊の主峰で端正な三角錐を見せる黒岳、甲府からも一目で分かる釈迦ヶ岳、その奥が(写真)本日も全国1番の最高気温を記録した甲府盆地が重たい空気に覆われ薄っすらと見える。山頂は天然クーラーで快適だったが、大月方面に雷鳴を聞いて速やかに下山。清八林道を30分で駆け下った。
三ツ峠口09:45~本社ヶ丸13:30 3+45(御巣鷹経由)
本社ヶ丸14:00~三ツ峠口15:15 1+15(清八林道)

第21回ふるさとの山に登ろう

2016/07/10(日)

今回は文句無しの梅雨の晴れ間に恵まれ15名が参加して、花の百名山「根子岳」と日本百名山「四阿山」を巡って来た。
クラブでは初の遠征(往復333km)なので計画は早めに4:30に集合、予定より少し早く菅平牧場に到着できた。
自身にとっても初めて登る山で、C山岳部の時代に先輩から教わった「地図を手に」「緊張感を心に」持って登山口をスタートした。
先ずは花に期待して根子岳へ向け牧柵に沿って登ると、直ぐに満開のヤナギランの群生が迎えてくれ、アザミやウスユキソウなど次々に現れて目を奪われる。それでもコースタイム通りに緑が眩しいダケカンバの森を抜けて、山頂まであと少し、順調と思った矢先に1名が不調を訴える。不調者を2番に入れペースを落とし、何とか山頂に着いた時に最後尾からCLのS氏が駆け上がって来て、ここから俺が下ろすから後は予定通り行ってくれと告げられた。高山病と判断したS氏の判断は的確で、他のメンバーにも配慮した最小限の言葉の中に「俺は前にも登っているから」があった。本来ならSLの役目だと考えたが、初めての四阿山に登りたい思いからS氏の優しさに甘えさせて頂いた。
ここからはベテランS氏不在の13名のグループになり、必然的に自身がCLとなるが今日は将来のリーダー候補Y君も同行しているので心強い。
それに天気が最高で北アルプスを一望にメンバーのテンションも高く、直前まではっきりしなかった天気予報の影響か登山道の混雑も無く昼過ぎに元気に四阿山(2354m)に立った。
適度な標高差とコースの優しさは初級レベルで有りながら、これだけ大きなスケールを持つ山は山梨には残念ながら無い。クラブの中心的な存在であるリーダーS氏が、ふるさとを遠く離れたこの山を強く推奨した理由が良く分かった。何時も見ている富士山が遥かに小さかったが眺望を楽しみながら山頂を後に木道を下るメンバー(写真)を最後尾から。高山病の症状で先に下ったメンバーもすっかり回復し、事無きを得たS氏の的確で迅速な判断に山岳リーダーの神髄を学ぶ実のある山行で有った。
菅平牧場07:35~四阿山12:45 5+10(根子岳経由)
四阿山13:30~菅平牧場17:10 3+40(小四阿経由)